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先週から感想文が長々となっていますが、それだけ読み応えのある機関誌内容が続いています。
少しでも多く理解して、実際の仕事に活かしていきたいです。 ======================================== 第31号 塾長理念:原点を見失わない 塾長講話:『京セラフィロソフィ』の真髄をひもとく 原点を見失わない 「新たな領域では、何度も壁に当たり、行き詰ることを経験します。そのような局面では、当面の問題点の克服だけに終始してしまいがちです。しかし何とかそれをクリアしたとしても、目標に対して若干のズレが生じることがあります。そして何度もその場、その場の問題を解決しているうちに、いつのまにか当初の目標からは大きく逸脱してしまうこともあるのです」 「その場かぎりの判断をし、原点に立ち返ることがないために、このような結果を生むのです。原点を見すえ、ものごとの本質に立脚した判断こそが、未踏の領域で成功をもたらすのです」 『京セラフィロソフィ』の真髄を、初めてひもとく □自分を追い込んで努力を続ければ「神の啓示」が訪れる 「もちろん閃くのは自分自身なのですけれども、それはあたかも、神さまが苦しんでいる自分を憐れんで、ヒントを与えてくれたものだと譬えてもいいのではないかと私には思えるのです」 □余裕のなかで生まれるアイデアは単なる思いつきにすぎない 「失礼な言い方かもしれませんが、学術研究に携わっている先生方には、『命にかえても自分の研究を貫く』という切迫した思いを持つことは少なかろうと思います」 「私は、『本当に素晴らしい成果を残そうと思えば、そんな甘いことではダメなのだ』と、先生に食ってかかったのです」 □自らを追い込めば、不可能と思われることも可能になる 「精神を集中させると、肉体的、物理的な領域においても大きなエネルギーを生み出すということを、この『火事場の馬鹿力』は証明しています」 「精一杯自分を追い込んで『もうこれ以上はやれない』と思うようなところまでいくと、『自分は精一杯やった』という自負がありますから、『あとは天命を待とう』という心境にたどり着けるのです」 □余裕のあるうちに全力を出し切れ 「『土俵の真ん中で相撲をとる』とは、常に土俵の真ん中を土俵際だと思って、一歩も引けないという気持ちで仕事にあたるということです」 「他の事業に手を出すのなら、体力のあるときにやる。順調にいっている間は安心して何もせず、悪くなってからようやく手を打とうとするから、条件も悪くなってしまうのです」 □前倒しの試験勉強で常に満点を目指す 「試験はいついつだから、その日までに勉強しておけば大丈夫だと思ってギリギリのスケジュールを組んでいると、必ず何かトラブルが起こって、思惑通りにいかなくなります」 □ガリ勉に人間性の一端を教えてくれた友 □建前や常識ではいい仕事はできない 「ただし、本音丸出しで議論するなかにも、ルールがあります。まず、相手の欠点をあげつらったり、足を引っ張り合うようなことでは当然いけません。たとえそれが事実であっても、そのような言動は御法度です」 「必ず『みんなのために善かれ』ということに立脚した本音でなければならず、建設的でポジティブな議論でなければなりません。そのような議論であれば、必ずといっていいくらい創造的な結論にたどり着けるはずです」 □私心のない判断が最良の解を生む 「何かが起こった瞬間、『どうしようか』と考えますが、結論を出す前に、『ちょっと待て』と一度深呼吸をしてみるのです。そして、『そういえば、塾長が『自分を無視して考えてみなさい』と言っていたな』と思い出し、問題を第三者の立場で考えてみる。そうすれば、必ず最良の解が見つかるはずです」 □科学的な合理性を豊かな人間性をあわせ持つ 「バランスのとれた人間とは、何事に対しても常に『なぜ』という疑問をもち、これを論理的に徹底して追求し、解明していく合理的な姿勢と、誰からも親しまれる円満な人間性をもちあわせもった人のことをいいます」 「極端な博愛主義で指導をするコンサルタントもいるようですが、これはとんでもない話です。私は経営論においても『利他』の重要性を説いていますが、これにはちゃんと合理性があるからお話ししているのです」 □「知っている」ことと「できる」ことを同一視してはならない □毎日の創意工夫が創造を生む 「今日よりは明日、明日よりは明後日と、常に工夫をしていく、たとえわずかであっても改良改善を続ける、この姿勢こそが『創造的な仕事をする』ということなのです」 「『こんなことで本当に会社を立派にできるのだろうか』と思えるほどの小さな努力を、時間をかけて続けていくことによって、何年か先には企業の中に技術が蓄積されていくのです」 □ボタ山を宝の山へと変えていった3M創業者の創意工夫 □創造的な仕事を通じて中小企業が大企業へと発展していく 「もともと専門の知識があったわけではありません。<中略>技術変遷を予見していたわけでも何でもないのです。ただ現状に満足することなく、あらゆることに工夫を重ね、新しい分野へ果敢に挑戦していったという姿勢が、今日の京セラをつくってきたのです」 □正しい判断ができるかどうかで経営は左右される □「相手のためになることなのかどうか」を考えて判断を下す 「誰もがみなこの現世に生まれ出てきて、一回しかない貴重な人生を必死で生きています。だからこそ、この世では森羅万象あらゆるものが一緒に共生し、共存していかなければなりません。自分も生き、相手も生かす。つまり、地球にある生きとし生けるもの、すべてのものが一緒に生きていけるようにすること、それが利他なのです」 □大善の功徳と小善の罪 □利他の心で見れば儲け話の裏側まで見通せる □両極端をあわせもちそれを正常に機能させる □両極端の能力を要求される中小企業経営者 □些細なことでも真剣に考える 「あらゆる状況下で気を込めて現象を見つめるという基本ができていますから、何か問題が起きても、すぐにその核心をつかみ、解決ができるようになります」 「過去に同じような経験をしたから、特に考えなくても分かる、ということではなく、ものすごい速さで思考が回り、最良の策を考えつくことができるからなのです」 「最初のうちは頭の回転も遅く、あれこれと迷いながら考えていても、それを十年、二十年と繰り返していくうちに、素晴らしい冴えを発揮できるようになってきます」 □時間がなくても意識を集中して考える 「たとえ細かいことであっても、集中して深く考え、判断を下すという習慣を、ぜひ身に付けていただきたいと思います」 □人間として正しいことを正しいままに遂行する □建設的な提言ができる企業風土をつくる □卑しい人間を育てるようなことがあってはならない 「公私のけじめをきちんとつけ、日常のちょっとした心の緩みに対しても、自らを厳しく律していかなければなりません」 □社用車の使用にもけじめが必要 □潜在意識を活用する □潜在意識が閃きを呼び込む 「自らの潜在意識に働きかけた、そして、その思いに呼応するかのように、私の下にそれぞれの分野の専門家が集まって協力してくれた、<中略>潜在意識を駆使するほどの強い願望を抱かなければ、うってつけの人材が前を通っても、気が付かずに見逃してしまっていたでしょう」 □強く持続した願望は実現する 「どんな艱難辛苦が待ち受けていようともくじけない、岩をも通すような一念でやり遂げてみせる、そのように純粋に思い続けるということが成功への源なのです」 □磨けば能力は進歩する 「何かをしようとうするとき、まず『人間の能力は無限である』ということを信じ、『何としても成し遂げたい』という強い願望で努力を続けることです」 □『京セラフィロソフィ』が今日の成功の源泉 □勇気、忍耐、努力の人にのみ許される「チャレンジ精神」 「軽々しく挑戦すれば、とんでもない大失敗を招いてしまいかねませんから、どんな障壁にぶち当たろうとも、それを乗り越えて努力を続けていくというタイプの人でない限り、チャレンジをしてはならないと私は思います」 □人の歩まぬ道を歩きつづける □『京セラフィロソフィ』を唯一無二の羅針盤として歩む □京セラは「成功するまでやる」 「『もうダメだというときが仕事のはじまり』ということが私の根本的な信条ですから、研究開発でも事業経営でも、とことんやり抜くようにしています」 □経営に余裕があるからこそ粘ることができる 「大半の大企業は粘れない。それは、大体において資金が続かないからなのです。成功するまで続けられるのは、それだけの金銭的余裕があるからです」 「本来は余裕がなければいけません。しかし、裸一貫でも努力を続ける、それだけの根性、度胸は必要です」 □信念は人に最大の勇気を与える 「何か新しいことをしようとすると、反対意見やいろいろな障害が出てくるものです。そのようなことがあると、すぐに諦めてしまう人がいますが、すばらしい仕事をした人は<中略>これらの障害を試練として真正面から受け止め、自らの信念を高く掲げて進んでいったのです」 □「自由を守るために銃を取ろう」(アメリカが立てた大義) 「多くの従業員のことを考えるなら、ぜひ、『自分にはこういう目的、信念がある。それを貫くためには、自分は命をかけて戦うのだ』という大義名分、信念を持つようにしていただきたいと思います」 □リーダーほど真の勇気が必要な仕事はない 「真の勇気とは、大義名分や信念を持った人間でなければ出せないのです。打算や損得勘定で生きている人に出せるものではありません」 □サミュエル・ウルマンの詩「青春」より □物事は「できる」ことを無邪気に信じる超楽観的な姿勢から始まる □計画を立てるときは緻密、かつネガティブに □決めたら最後、楽観的に実行する □楽観的な構想から始まったセルラー電話事業 □経営者には勇気が必要 「真の勇気とは、自らの信念を貫きながらも、節度があり、怖さを知った人、つまりビビリをもった人が場数を踏むことによって身につけたものでなければなりません」 □場数を踏むことで真の勇気をつくる □喧嘩の勝敗は勇気と度胸で決まる □使命感、責任感が度胸と勇気を奮い起させる □適者生存が自然界の掟 「一生懸命に努力をした者、誰にも負けないような努力をした者が世の中に適応して生き残り、努力しなかった者は絶えていく、この適者生存こそが自然界の掟なのです。ですから私達が持つべき闘争心とは、相手を倒すためのものではなくて、自分が精一杯に生きていくためのものでなければなりません」 □自分の食い扶持は自分で稼ぐ 「社員達には、オーナー経営者と同じように、自らの道は自分で切りひらくのだ、自らの食い扶持は自分で稼ぐのだ<中略>と思ってもらわなければならないのです」 □言霊は実行へのエネルギーとなる 「幹部も社員も自分から進んで目標を公言する、そのような光景が見られる企業は、雰囲気も明るく前向きであり、業績も素晴らしいものであるはずです」 □カラーで見えてくるまで考え抜き、手の切れるような製品をつくる 「自分で考え、完成品がどのようなものであるべきかが分かっていないと、社員が開発した製品を見ても、『まあ、これでいいだろう』としか言えないわけです」 □フィロソフィは経営における宝の中の宝 □上場時期まで「見えていた」第二電電創業 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 命にかえてでも貫くという信念を持って仕事をする、との教えが印象に残りました。私は盛和塾を通じて、仕事とは生活のためにするものではなく、自らの心を高めるためにするものであると、仕事に対する捉え方を学んでいます。そして心を高めていくために仕事をするからこそ、人として正しいことを判断基準とし、社員ために命にかえてでも、という信念が生まれてくるのだと思います。けれども現在の私は仕事への捉え方を学んでいるばかりで、命にかえてでも、という気迫でもって仕事をしているとは到底言えません。何故、命をかけてでも成し遂げたいという仕事の仕方ができないのかと考えてみると、仕事に対する捉え方が変わってきているとは言っても、仕事を通じて意義ある人生を送りたい、という程度にしかまだ考えられていないからだと思い当りました。人生を豊かにするために仕事をするという程度であるから、仕事に専念するといっても趣味や学習に打ち込むといった程度にしか取り組めていないのだと思います。塾長の言われるド真剣という心境や、狂になって仕事するとは程遠い状態です。心を高めるためということは、人生を豊かにするという以上に人生の本質を突いた目的だと思います。そのように思うことはできていても全く血肉化されるまでには至っていないのだと感じています。心を高めていくために仕事をする、という学びの奥深さを実感しています。人生の目的が心を高めていくことなのですから、やはり仕事に対して命をかけていくという、切迫した思いを持っていくよう努力していくべきだと感じました。フィロソフィの「土俵の真ん中で相撲をとる」にもあるように、経営状況の土俵際になって初めて死に物狂いで仕事をするのではなく、常にそのような状況だと想定して努力していきたいと思います。そして十分な対応が可能なうちに、命にかえてでも貫くという信念を持って挑戦していかれるよう、確実に仕事を進めていきたいと思いました。 またトレーニング、習慣付けることで能力は磨かれるとの教えも心に残りました。フィロソフィでは「利他の心を判断基準にする」「有意注意で判断力を磨く」「潜在意識にまで透徹する強い持続した願望をもつ」など、人間離れしたとも言える行動が挙げられています。塾長はこうした行動がとれるよう常に意識し続けることで徐々に身についていくと教えられています。また「人間の無限の可能性を追求する」ともあり、自分には無限の能力があると信じ、能力を磨いて向上させていくよう地味な努力を積み重ねていくことが大切であると説明されています。説明されて急に自分には無限の才能があると信じ込むような人間は、よほどのオッチョコチョイでいい加減な人間ですが、敢えてそのような人間になれとさえ説かれています。私は「素直な心をもつ」というフィロソフィを実践するためにも自分には無限の才能があるのだと信じて、無理やりにでもフィロソフィを実践していきたいと思います。特に利他の心で判断することに関してはそのテクニックも教えられており、思考のプロセスのなかにそのような回路を組み込んでいきたいと思います。 その利他の心で判断する際には、相手にとって何が本当にいいことなのかということを考える必要があると講話にはあります。「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」とあるように、目先のことしか考えずに相手に施そうとする善行はかえって悪をなすことになると説明されています。また冷たい仕打ちに見える行為の中にこそ本当に相手を助けるためになる大善があると説明されています。けれども今の私には、本当に相手のためになることは何なのか、という答えを導きだすのはなかなか難しいことであると認識しています。人として正しいことという価値観に照らし合わせてみても、いろいろと解釈できるような場合もあるのではと感じることがあります。まだ私は人として正しいことという根源的な価値観でさえも定まっていないのかもしれません。また価値観から導き出す思考に感情が含まれてしまい、正しい答えが導きだせないのかもしれません。私は「知識より体得を重視する」とあることからも、これからの仕事の中でひとつずつ判断していくことで何が正しいのかを学んでいくことなのだと理解しています。そして、仕事とは人として正しいことを追求する行為でもあるのだと胸に刻んで、精進していくことが大切なのではないかと感じています。
by sunnystep
| 2009-03-15 22:31
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