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伊豆 白浜 露天付きペンション ウェルカム・イン サニーステップのblog +その親父のブログ
by sunnystep
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白浜について

東京から移り住んで25年経つが、こんな良い所に住めるなどとは私の人生で夢にも思わなかった。
海あり、山あり、そして温暖だからである。
宿泊業を開業しようと思い立ち、先ずは日本全国を頭に描いたが、釣りに来ていた伊豆に決めた。伊豆の土地をあちこち見て来たが、たまたま現在地が売りに出されたことを不動産屋から連絡が入り、現地を見て即刻決めたのだった。

こんなに良い所はないと今ではつくづく感謝している。

縄文・弥生の頃からこの地に人間は住んでいたらしいが、その古式の人達はどう思っていたのだろうか。青森に山内丸山遺跡があるが、5ヶ月間雪の中に住む、未だ電気ガスもない時代の人間と比べると、どれ程白浜は住み易い地だったのだろうか。

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白浜の古代遺跡は三穂ヶ崎にある。海に突き出た崎だが、海への祈願地だったのだろう。
近所を散歩する老婆に声をかける。
「海を見ながら散歩できるなんてここは良いとこだネ」
「そうかネ」 の返事。
私、「きょとん」。

7~80の老人たちにとってこの景色は当たり前なのだ。他処、特に都会に住んだことがないのである。

7~80代の老人たちに結婚の由来を聞くと、見合いあり、恋愛ありではあるが、殆ど現地人同士である。60代になってからようやく都会人と結婚し始めた。それも多くは現地の男性と都会の女性である。今から40年前位なのだが、その頃半島に観光ブームが起こり、来島した女性がなんとなくここに居付き、その彼女たちを口説いたのであろう。

それにしてもここは今でも「屋号」が罷り通っている。同姓が多いからである。「~の井戸端」はお金持ちで井戸を持っていた。井戸のない近所の人達が水を貰いに行ったそうである。「~の鞠屋」もお金持ちの部類。鞠蔵を持っていて近所の人達がそこに集まり、味噌・醤油を造っていた。屋号の多くは何代か前のじいさんの名前を使っている。子孫が増え近所に住むと「上の~」「浜の~」「下の~」となる。また長男はそのまま先祖の名前を使っているが、次男、三男は「~の隠居」とした。分家という意味である。中には商売、仕事をとって「とうふや」「かじ屋」などともなっている。

私たちよそ者が本当に地元の中に溶け込むには3代かかると思っている。その時の私達の屋号はたぶん「サニーステップ」なのだろうが、開業当初は「あ、英語のペンションさんネ」だった。

白浜には3区あるが、その下に約14~5世帯をまとめた組がある。組長は持廻りで順番に当たるが、その役目の主なものは市役所広報のスタート拠点であり、年2回の道造り(雑草狩り)と2回の浜清掃に率先して出ることである。そこへ行くと区長は10組全部を取りまとめ、更には夏期の浜の管理が加わる。
従って区長の役割はきつく、それなりの時間的余裕と人望が必要である。そこそこの手当は出るらしいが、しかし一方で前例と少し違うことをすると陰口も叩かれる。だから余り成り手がないらしい。

持ち廻り組長となった新参者の私が皆さん組長のうしろについて区長職のお願いについて廻ったことがあった。組長の内では本命の区長さんは大体決まっているようなのだが、廻る順番があるようで、2~3回伺い最後に「分かりました。お引受けしましょう。自分は(下田の)大賀茂から養子に来たが、これから先、子孫が皆さんのお世話になりますから」ですと。

この方とは時たま出会うとニコニコしながら声をかけ合っている。

下田白浜
サニーステップ 親父

平成20年8月20日。
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by sunnystep | 2008-08-21 16:59 | 親父のBlog
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