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伊豆 白浜 露天付きペンション ウェルカム・イン サニーステップのblog +その親父のブログ
by sunnystep
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「白浜について」 白浜の産業 その1

地元の白浜の中年と話していたら、彼が云った。

「(濡れ手に)栗で生きてきて、泡(バブル)で行きついた」と。

正しく至言で私もそう思っている。
つまり今まで、頭を使うことなく、努力することもなく生きてこれたのだが、それも終わったということである。

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今回は、白浜人がどうやって生きてきたかというこについて触れたい。
「濡れ手の栗」 とは海産物、中でも天草であり、「泡」とは観光ブームである。

先ずは、海産物だが、てんぐさ(天草)と、ところてん(心太)の漢字は共に自然への恩恵と生活の恵みを表しているのだろう。

天草を水分が無くなるまでカラカニに干したあと(約一週間)、水を加えて天草が熔けるまで煮込む。
天草の重量と水の量は可成り厳密な割合が要求されるが、冷えてくると固まる。

この製法は平安時代 遣唐使によって中国から伝わった。
カロリーはさ程変わってない。 が、腹の足しにはなる。この心太を白浜人は1000年も前から食べていた。それに天草は畑の肥料にもなっていた。

旧明治38年天城トンネルが開通し伊豆南が陸の孤島状態から脱却すると一挙に長野県茅野地方に天草が輸出されるようになっていった。

そして白浜の濡れ手に栗が始まったのだった。寒天の材料だからである。

寒天は、マイナス10℃位の寒い地方で、心太を干して作る。寒空に干して水分を抜いてゆくのだそうだ。

寒天はそもそも京都の寒い地方の住人が心太をたまたま仕舞い忘れて雪の上に置きっ放しにしたのが元で作り方が考え出された。
それは江戸中期の頃だそうで、長野の商人がそれを見て寒い長野にも取り入れてはどうかとアイデアを持ち帰ったのが江戸の下期。

当初の長野の寒天作りは細々としたものだっただろうが、明治の後半から一挙に産業化した。

(伊那食品工業(株).別名「かんてんパパさん」のパンフレットによる。0120-321-621)

天草採りは大きく三に分かれ、海女さんが命綱をつけて潜り採る。
次に「まんが」と呼ばれる1M~1.5Mの大きさの鉄製の熊手様のものを舟を使って引きむしる。
そして、浜に打ちあげられたものを拾う の三種があった。
集められた天草は等級に分けられ、それを白浜村が買い上げ、仲介人に売り渡す。

「口開け」と称する日が年に何回か設けられ、その日に一斉に海女達が潜った。
そして年一回、利益の配当が村から彼等に配当金として還元された。その額は1戸当り約1000円だったそうである。
当時、学校の先生の給料が年額約500円。まさに栗だった。

天草採りに加わらない家族(老令等)でも配当金があったようで、まさしく互助社会である。

昭和30年頃だろうか、大学教授が調査に来て、白浜の「原始共産社会」と称したそうである。
今の古老達はそのことを内心誉りにしている。

しかし、30年頃からから徐々に収穫量が減ってきたのではないか。
その原因は採り過ぎか、潮の変化なのだろうか、海女さん達の高齢化もあっただろう。
現に今では2・30代の女性が潜ることは皆無である。

そして次に起こったのが夏みかん栽培であった。農産主導で山持ち住人達がみかんの苗木を植え出した。
中には、みかん農家として山を買い小田原、駿府地方から移り住んで来た人達もいる。
山合いの細い道を車が入れるような広い道にるす為、無償で供出され、農家として整備されていった。

実は国道から入ってくる私の処の傍の道路(幅員 約5M)も25年前に移り住んだ頃は、古根(こね)農道と称されていたが、15年位前から古根道となった。

農道から市道への昇格である。

農道の頃の、維持管理は供出者の責任であったが、市道になって、その管理は市の責任となったのである。

しかし農道として甘夏みかんの搬出に使われることは殆んどなかったのではないか。

みかんの苗木が成長して収穫の始まる頃には、白浜の産業は民宿業へと転換し出していた。昭和37~8年の頃である。

観光ブームの到来で「泡」(バブル)が始まった。

柑橘類はというと、その後も新種が次々と生まれ(ニューサマー・ポンカン・デコポン等)完全に白浜は遅れてしまっている。

今更、世に追い付くことも出来ず、専業農家の2~3軒が細々とやっているだけである。

手をかけることがないからスカスカしていて、それが地面に沢山ころがっている。

(私はみかん好きなのでよく買っていたが、今では専ら 愛媛県西予市明浜の「無茶々園」さんから取り寄せている。30余年の有機栽培の結果の今日、全国に出荷しているようだ。地域挙げて取り組んでいる様子が送られてくるパンフレットの中に綴られている。興味のある方はインターネットでどうぞ)。

下田白浜
サニーステップ 高村

平成20年9月15日
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by sunnystep | 2008-09-18 11:41 | 親父のBlog
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