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伊豆 白浜 露天付きペンション ウェルカム・イン サニーステップのblog +その親父のブログ
by sunnystep
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「白浜について」 白浜の産業 その2

 突如降って沸いたように起こった伊豆半島・下田・白浜のブームは36年12月に伊豆急が開通したからだった。

翌年の37年からはそれこそ伊豆へ伊豆へであった。

その頃、車が普及しだしていて車と両方で来島した。

 夏の白浜へは70万を越す人達が殺到した(20年の今年は35万)。
約45年前の頃だが、その頃に少、青年時代を過ごした当地の今の5~60代の中年からその凄まじさをよく聞かされる。

「兎に角寝かせてくれ。 縁側でも良いから頼みます」。

「民宿」という言葉通り一般民家が押し掛けられ、当座の金儲けの為、1人 7~800円で泊めたそうな。

来島する若者グループはテント持参である。
白浜大浜は立錐の余地もない程で花火は上がるは、焚火はするはで大騒ぎ。
焚火の木は時に民家の雨戸も燃やしたと聞く。

なかには酔払った女が裸で歩く始末。(私も47年だったか女房と夜の白浜を通過したことがあるが、突然女房が「あなたアレ見て 女の娘が裸よ」と指を指したことがあったが残念ながら見過ごした)。

子供だった地元の連中は寝るところがなく、友達を頼って民宿をしていない家へ、転々と泊まり歩いていたそうだし、又、両親も台所の脇に3~4畳の出屋を作り、そこで寝たようだ。
それが続くと庭に離れを作ってそこで家族が寝泊りした。

 この狂騒と浜の汚染を危惧した当時の下田町は国有地を管理する県にキャンプ禁止の措置を願い出た。

これを受けた県は白浜のみならず伊豆半島全域に6月から9月いっぱいをキャンプ禁止地域にしたのだった。それが昭和44年。
以後、徐々にキャンパーが減り、48~9年頃から完全に姿を消した。

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本題に戻って民宿さんのことだが、上記の若者をも含めて更に客数が増え始めた。
昭和44年頃を境にしてである。

一般民家の民宿さんが現在の二階建てにしたのは、この頃からであろう。

山を売り畑を売って資金元とした。(だから白浜各部落の奥には別荘地が沢山ある)。

しかし今ではその民宿さんも衰退の一途を辿り、目を覆うばかりである。

廃業した民宿さんから「俺の部落でも昔は100軒位あったろうが今では10軒あるかないか」と聞いている。

 その原因はいろいろあるだろう。

老齢、熱意、施設設備等あるだろうが、白浜の持つ多様な良さを生かし切っていないことも一因と私には思える。
そしてそれを住民達が結束してアピールしていないと思うのである。

 多様な良さとは砂浜だけではない磯場、海上、海中に及ぶ種々の楽しみ方がある。

市内には海に沿って7つの海中浴場があり、場所によって多少の違いはあるだろうが原則的に潜りは認めていない。

当然アクアラングを使うダイビングに対してはどこも未だ開放していない。
国道135号沿いにでは、下田市だけが認めていない。

何故かというと 「俺っちの海」 という意識が強いからである。

本来、海は国民のものであるからダイビングであれ素潜りであれ開放されてしかるべきである。

しかし一方では、地元がサザエとアワビの稚貝を磯に放流している。

成長した貝では地元民は生活の足しにしている。

要は潜っても良いけど貝は採ってはいけない。しかし眼の前にあれば採りたくなるのも人情。

私は考えるのだけどダイビングのように地域を限定し、或る一定以上の大きさの貝を、数量を決めて取ることを認め、それを浜値(原価に近い値段)で買い取っていただくのだ。

 次に砂浜の有効利用についての私のアイデアだが、ハワイアンダンスサークルの発表会場として提供し、デッキの上で踊っていただくこと。

 幸い大浜には5~60畳になる組立式のデッキがあるし、長田浜にはもともとデッキがある。
酔った人、興味のある人の飛込も認める。

おだやかな音量であれば左程近隣の迷惑にはならないだろう。

当初のうちは下田近在のサークルに声をかけ、次第に伊豆半島に広げ、それを聞きつけ都会からも来るかもしれない。(宿泊絡みも考えられる)。

 これ等は単なる私個人のアイデアのひとつに過ぎないが、地元民がそれぞれアイデアを持ち寄って白浜低迷打開に向けて、一致団結しなければならない時が来たと思う。

観光ブームに乗って泡が湧き上がったが、今や溶解しかけている。
地元の人達はどのように立ち上げるのだろうか。
立ち上がってからも試行錯誤が続くだろう。
それを乗り越えて次世代に譲ってゆかなければならない。

一番必要なことは、「宝のような白浜」 を結束して守り育てること。

 最後になるが、須崎半島に在る民宿さん(他処者経営)から聞いた話。

福岡博多の浴衣セールスマンの体験話だが、西伊豆の或る処では、次から次へと紹介されたそう。

「オイ俺のところは青地の浴衣買ったからオメエのところは緑にしたらどおョ」と。

しかし下田地域に入ると殆んど紹介はないそうな。

地域を上げて誘客を計るという意識がないとのこと。
自分のところさえ良ければということで、その前提には客は自然に来るという発想だと分析しているそうだ。

下田白浜
サニーステップ 
平成20年10月
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by sunnystep | 2008-10-03 16:24 | 親父のBlog
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