伊豆あれこれ 露天付きペンション サニーステップ ブログ


伊豆 白浜 露天付きペンション ウェルカム・イン サニーステップのblog +その親父のブログ
by sunnystep
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
カテゴリ
以前の記事
サニーステップのページへ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

老人の戯言 2013.01.02

全国の皆様、
あけましておめでとうございます。
どうぞ皆様にとって良い年でありますように
心から願っています。

リーマンショック(この言葉は知っているが、
その実態を私は全然知らない)以来、2年に亘り
不景気という状況が続いている。さらにバブル崩壊
から数えると20余年にもなる。

20年という期間は個人からすれば人生の4分の一
に当たる。この世に命を授かり、昭和から平成に
掛けて生まれ合わせた有り難さを考えれば、少欲
知足をもって人生の指針にしたいと、そして日々精進、
日々発心しかないと、つくづく考える今日この頃である。

国立公園制度が出来た当初は富士箱根であったが、
昭和32年に伊豆が加わり、三地連盟の国立公園となった。
山に海を加えたのだが、伊豆は沿岸部が公園地域となって
いるが、天城山麓も含めた伊豆半島全体の景色があって
こそ海岸部がいきいきとしてくる。

今白浜板戸ではアロエ祭りが一月15日まで、
須崎半島爪木崎では1月いっぱい水仙祭りが行われている。
元旦に両方とも視察してきたが、異常気象のためか、
開花期が遅れている。祭りの期間に限らず楽しめることでしょう。
今年もどうぞサニーステップをよろしくお願いします。
[PR]

# by sunnystep | 2013-01-02 18:28 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.12.17

間もなくクリスマスの日がやってくる。
それに向かって商戦がいっそうにぎやかになりだした。
ビル、タワー等のイルミネーションは2~3週間前から
ツリー模様を仰々しく飾り立てている。
サンタクロース風に作った食べ物も出回っている。
私が小さいころの昭和20年代にはこんなことはなかった。
それがいつの間にかケーキから始まり、現状に至っている。

今朝の新聞によると、アメリカでさえクリスマスツリーという
呼称を止めようという動きが小さな都市から出始めているそうだ。
信教の自由のためであり、先走るにぎやかしをやめようとしているらしい。

私も全く同感である。
テレビ映像を見ているとうんざりとさえする。
クリスチャンでもなく、サンタクロースにも全く縁のない人間たちが
この時期だけにぎやかしおどらされて買い物に出掛け、
町中を歩き廻るなど、私には考えられない。

しっとりと落ち着いて正月飾りを思い、新年を迎えたいものだ。
幼少の長野で育った父母達はこの時期近所の人達と餅をついていた。
[PR]

# by sunnystep | 2012-12-17 15:21 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.12.01

あした葉、ふきのとうを食べていると書いたが、
地元の老人たちは更に凄い。

通りかかる80代後半にもなろう老婆の多くが
背負い駕籠を背にして歩いている。出会う多く
の方々に声を掛け「重いの?何が入っているの」
と聞くが、自分の畑で採れたもの、或いは親戚、
友人から貰ったもの等が入っている。
とにかく野菜類は自前の人たちが多い。

しかし野獣との攻防がかなり熾烈らしい。
鉄柵だの網だので囲っている畑も多いが、
猿、猪等はそれを飛び越えるそうだ。
リスも加害者だとは先日初めて聞いた。
蜜柑畑を持っている人達は烏が更に加わる。

散歩し乍らあした葉を手に一杯に握っている
人達も多い。否、殆どの老婆がそうだと、私は
思っている。
[PR]

# by sunnystep | 2012-12-01 19:01 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.11.25

スーパーで売られている3割5割引の
商品に拘ると書いたが、只のものでも
実においしいものがある。

タダとは自然、野生のものだが、あした葉
(明日葉)であり、蕗のとう(ふきのとう)で
あり、むかご、などなどである。
ふきのとう、むかご等は季節のものであるが、
あしたばはいつでも新芽が食べられる。

ふきのとうは2月の終わり頃から3月いっぱい。
地元の人たちも探すのであろうが、私は山に
向かう散歩道で見つけるから余り地元の人の
目に付きにくいのか、採り放題。

むかごは10月から11月にかけて山芋のつる
に生る。
山芋は多少の小遣い稼ぎに地元産として山に
入り採る人がいるので私は遠慮している。
従ってむかごも採りには行かないが、時には貰う
ことがあるのでそのときは有り難く頂戴する。

これらに比べあしはばは私の土地内に生えて
いるのでいつでも新芽が食べられる。芽を採っても
またあした生えるというのであしたば。

東京に居た頃は名前すら全く知らなかったが、
今では病み付きになっていて、家内が「今日は
天ぷら」と言うと私は必ず採ってくる。

ほろ苦さと野菜の甘さがミックスされていて本当に
おいしい。そして食べ放題だからなおおいしい。
[PR]

# by sunnystep | 2012-11-25 09:12 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.11.24

六根とは「眼」(げん)「耳」(に)「鼻」(び)
「舌」(ぜつ)「身」(しん)「意」(い)をいう。
所謂人間の五感プラス意識をもって
仏法上は六根と称し、これらを研ぎ澄ます
ことにより成仏への道とすると私は理解している。

それにしても「六根清浄」と唱え乍ら四国の
48ヶ所、或いは地方の88ヶ所を巡ることに
よって成仏することはありえない。

「六根清浄」についてもっと深く書きたいが
私にとっても難しくなってしまうので、
引き続き気楽な日常の「舌」について書くことにする。

我が家の家庭料理がここのところ毎日
正月料理並みにおいしい。
種を明かせば買うものの殆どが5割引き
以上であり、定額では全く手が出ない品でも
買ったりしているからである。

最近では割引になる時間帯が各スーパー
によって違うことも覚え、その時間に合わせて
スーパー巡りをするようにまでなっている。

車中で家内が「今日は何を食べようか」と
呟くのであるがそれは全く独り言に過ぎず
割引商品探しの出たとこ勝負である。
割引のラベルが貼ってあるのしか目に入らない
ほどである。

そうした豪華な食卓の中でも特に思い出深い
のが今年の七月末土用丑の日のことである。
夕方7時に行ったら「うなぎ」が5割引であった。

鰻の価格が徐々に値上がりし、その頃には
通常の倍近くの値が付いており、時たま家内が
「うなぎ食べたいね」とは云うものの、素通り
していたのだった。

私は迷わず家族分4枚を手にした。
今思い出しても可笑しいのだが、丁度4枚あった。

先日は5割引になった黒毛和牛をついに買った。
皆でニコニコし乍ら「美味しいね」。
唯単に「美味」という舌根をこえて、生活を楽しんで
いる我が家であると勝手に思っている。
[PR]

# by sunnystep | 2012-11-24 16:59 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.10.30

スーパーへの買い物はよく出掛ける。
時々出会うのはその昔(7~8年前)
よく通った飲食店のオヤジ、オカミさんたちである。

「最近行かなくてごめんなさい」
と謝る事から会話が始まるのだが
本当に行かなくなってしまった。
皆さんが「いいよ、いいよ」と笑いながら
雑談に応じてくれる。

なぜ行かなくなったというと、一人前が
とても食べられなくなってしまったからである。
要するに胃袋が小さくなってしまった。
そのことを付け加えると相手は
「ハハハ」と笑い、「もうそんな歳に
なったんだよ」と返ってくる。

あの頃は自宅での夕食後2時間くらい経つと
「何か食べに行こう」と家族を誘ったものである。
家内も喜んでついて来た。

その家内も今は少し太り気味を気にして
夕食はご飯を抜き、私はお茶碗に3分の一
程度でもう満腹。

外食をしなくなったのは小食になってきたからだが、
それに加えて家内の作るごはんも非常においしい
のである。
私の味覚が家内に仕付けられたのか、
或いは女房の腕前が上がったのか。
恐らく後者であろう。

最近調味料が少し変わってきているようで
毎日の夕食が非常に美味い。

私は毎食「あ~おいしい」と口に出す
ことにしているが、これは家内へのお礼、
感謝の気持ちを表現したいと思っているから。
そして私の六根のうちの「舌」の精進も意味している。
[PR]

# by sunnystep | 2012-10-30 14:52 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.10.12

私を連れて行ってくれた彼は近所に住んでいた。
その彼が去年の暮れ突然亡くなった。

中学を卒業してすぐに自動車修理工として
町工場に勤めた。今では下田で一番大きな
修理工場になり、30人近くの会社となり、
彼はそこのナンバー2になっていた。

修理、車検だけでなく販売や保険もある。
彼は外交営業担当であり、席の温まる暇もなく
飛び歩いていた。それまで培ってきた車に対する
技術、知識に基づき、さらには人柄の良さが加わ
って営業担当となっていった。

そんな彼が私宅へ来たときそっと話した。
「俺、もしかしたらそのうち人工透析をするように
なるかもしれない。そしたら会社も辞めなきゃ
ならなくなる。」

昨年夏、彼を見掛けなくなったので奥さんに訊いたら
「今修善寺の大学病院に入っているの。」
11月頃また訊ねたら「3ヶ月入院してるけど、ここまま
入院してても仕様がないので、地元の病院に行きなさい
と先生から云われた。」

11月中旬彼宅に人が出入しているのでもしやと
思い私も訪ねた。彼は頭を右にしてベッドに横たわり、
力なく左手を差し出してきたので、私も左手で握手した。

「俺動けないんだよ」と言いながらも、もそもそして
なんとかベッドの上に起き上がって右手を差し出したので
私も右手とそして左手も添えて固く握手しなおした。
「頑張れよ」としか云えなかった。

病床待ちで2日ほど家に居て再入院した。
その後2週間ほどした12月に彼は亡くなった。

詳しい病名はわからないが内蔵がみなだめに
なってしまい手の打ちようがなくなっていたようだ。
寿命だったのだと私は思っている。
「死は一定」と仏教では説いていて、仏教信徒の
私は彼の成仏を願って塔婆供養をしてお経を
唱えるのみである。

今では蛸取りもタテ貝採りも遠い過去となったが、
人生にとって貴い経験であった。
[PR]

# by sunnystep | 2012-10-12 08:25 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.10.10

蛸の大きさは30センチ前後だったが、
タテ貝の大きさは大人の小指程度。

2枚貝で割れ易い岩の中に住む。
成長するにつけ岩を溶かし徐々に
奥へと潜っていきながら大きくなる。

大体が10数個の群れをなしている。
えさは海草の海苔だから日当たりの
良いところで群れるのだろう。

夏前だったか彼から誘いを受けて
海パン姿で金槌と小バケツを持って
出かけた。

「貝の穴を探して岩をハンマーで
削っていく。そして穴から引っこ
抜くんだ。」

穴の直径は3ミリ程度、そこから
2~3ミリの貝の舌が口を開いて
出ているが、それが7~8センチ
程度の間隔で10数個。それで
ハンマーとなるが、穴を見つけ
るのに四苦八苦。

それでも慣れてくるにつれ段々
見つけられるようになり、小一
時間で両手にこんもり程度採れ
た。さぞかし私は採っただろうと
彼を見たら私の3倍程度だった。

「みんな持って行きな」で別れた
のだが、そのとき彼は
「絶対一人でやったらだめだよ。
俺と必ず一緒。岩を割るので禁
止されているのだよ。俺は地元
だから『俺だよー』で済むけど
あんた一人だったら訴えられて
大変になるからさ。」

ゆでてそのままも良し、味噌汁
にもダシが出て良し。とにかく
非常にうまかった。地元以外
食べられないのではないか。
20年以上前NHKでタテ貝なる
ものを放映していた。多分山口
県だったと思うが、市場に出る
にしてもほんの一部の高級料
亭出しか食べられなかったと
記憶している。
(続く)
[PR]

# by sunnystep | 2012-10-10 10:06 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.09.28

思い出すだけでも懐かしい、深い思いのある
遊びを2種類やったことがある。両方とも1回
だけであるが、鮮明に思い出せる。
一つは蛸取りであり、もう一つはタテ貝と呼ば
れる貝取りである。
両方とも同じ人が連れて行ってくれた。

蛸取りには1メートルの深さの砂混じりの小石
の浜に行った。水温は冷たくなかったから夏の
終わった丁度今頃。
大潮の干潮の夜8時ころ迎えに来てもらい、
胸まである長靴(鮎釣りをやっていたので
持っていた)、クーラーボックス、そしてモリと
懐中電灯を言われたとおり私は用意していた。

それまでにもその友人が私宅に来たときは
よく蛸取りの話をしていたので、喜び勇んで
付いて行った。

話には聞いていたがアチコチ探しても全く
わからない。そのうちに「オーイ」と呼ばれて
行ってみるとモリの先にタコ。

2~3匹取った彼が「ホラ見てみな。周りに貝殻
が散らばっているだろう。そしてこの穴の中に
居るんだよ。」
確かに話の通り、穴の周りにハマグリ、アサリ
等の殻が蛸に食われて割れた状態で散らかっ
ていた。それがライトに照らされ光っている。

彼が話していたとき「蛸は穴の中でこうやって
石を頭の上に乗せてるんだ」と両腕を頭の上に
まわして石を抱える格好をした。
私はそんな姿勢をするはずないと思って笑い
転げたが、身を隠すために大き目の石はあった。

一時間と少しで5,6匹は取った。
「みんなあげるから持って行きな」と言ってくれた。
(続く)
[PR]

# by sunnystep | 2012-09-28 16:06 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.09.27

私は毎朝タオルで顔を拭くとき必ずチラッと
鏡を見る。浅野一瞬であるが非常に大切に
している。拭きだすときは大体背中が曲がっ
ているが、拭きながら背筋を伸ばす。

伸ばすためには、腰を入れることが必要で、
その腰の入れた感触を身体全体で確かめ、
その感覚を一日中保つようにしている。

歩くとき人間は手を振る。体の横で平行
になるように振っていたが、老人になると
八の字型に手が前にきているのを見かける。
それは背が曲がってきているためなのか、
と勘繰っている。

この歳になると若いときのようにスタスタ
歩けなくなってきているが、それでも手は
平行に振るようにしているし、時には両手
を後ろに組んで腰を入れて歩くようにしている。

さらに、時々話し掛ける老人は逆八の字に
手を振っていて、だから背中がピンとしている。
ただそれは癖であろうと、勘繰っている。
[PR]

# by sunnystep | 2012-09-27 16:29 | 親父のBlog

老人の戯言2012.09.20

私は発電のメカニズムについて全く知らない。
水力、火力、原子力がその力によってタービンを
廻して発電するそうであるが、太陽発電に到っては
予想もつかない。

私が知っているのはその昔、自転車に乗って
いた時夕方になると、タイヤに発電機をくっつけて
照らしたものである。ただ、その内部がどうなって
いたのかさえ知らない。

先日NHK静岡版ですごい特集をしていた。
浜松には大手自動車メーカーが何社かあり、
その下請け、孫請けの若手経営者が集まり、
精緻な技術と高度な能力を結集して風車を
開発していた。

それは筒状の形をしていて、囲んでいる面に羽が
4枚ほどついている。上から見ると円に4枚ほどの
羽が出っ張りついているように見える。
従来の扇風機型の風車と違って、羽の付け根は
筒の縦の長さに等しく長く、しかも風を受け易い
ような角度になっている。
素材は軽いアルミ板なのかプラスティックなのかは
分からなかった。羽の縦の長さも分からなかった。

今は羽の曲がり具合による風の捉え方の研究中
だそうだ。仮にその筒の長さが1メートルで、取り
付ける塔の高さが10メートルなら、10箇所に筒が
取り付けられることになる。その筒についた羽は
どんな角度の風でも廻るように設計されていて、
塔一つで360度の風に対応する。

それらの羽がどのようなメカニズムでタービンを廻す
のか私にはサッパリわからないが、経済的にも景観上
も画期的な開発になると思った。
[PR]

# by sunnystep | 2012-09-20 17:02 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.09.08

伊豆半島には私の知る限り、
風力発電機の風車のある所は3ヶ所である。
東伊豆町に2ヶ所、南伊豆町に1ヶ所。

東伊豆の一つ目は稲取ゴルフ場の脇で3機、
二つ目はゴルフ場の隣の山で白田にあり、
そこには10数機。
南伊豆は海岸沿いの県道の山中にあり、
石廊崎周辺に20機はあるだろうか。

私は伊豆が好きで駆け回るのであるが、
この風車群を見るたびにがっかりし、そして
次第に腹が立ってくる。

がっかりなのは、これらすべてが白色で
緑の風景の中に目立ってしまっているからである。
目立たないようにすべて緑色であって欲しい。

天城山脈も国立公園の一部であって、その山々を
見上げるとき、すぐ目の前の低い山のところに
白色がにょきにょき建っているのである。

風車は欧米で発展してきたのだろうが、テレビで見ると
大平原にズラッと並んでいる。つまりバックは緑ではなく
空である。そこへゆくと日本の場合はバックがほとんど
緑である。ぜひとも一考してもらいたい。

そして次第に腹が立つというのは、こうして立っている
異色の物が、大半は回っていないのである。
何の役にも立たないで人口の異様な物が立っている。
しかもそれが大半。風車の向いている方向は固定して
いるのだろうか、全然首を振らない。

米国のように草原であれば風の向きは一定である
かもしれないが、日本のように山あり谷あり海あり
なので、あらゆる角度から風は吹くのである。
勿論風の強さも関係するのであろうが、それでも
やはり日本仕様といったことを、どれほど考慮して
つくられているのか知りたいものである。
[PR]

# by sunnystep | 2012-09-08 16:55 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.09.01

f0174439_9424123.jpg
先日熱川にある「伊豆マウンテンドッグラン」を
12,3年ぶりに訪れた。
お互い顔は充分憶えていて、お互い遠くから
手を振り合い、近づいて堅い握手をかわした。
「久しぶりだね」「遠いところをありがとう」と言いながら。

当時私はドッグランなるものを知らず、熱川に行った時
電柱にある広告を頼りに見学に行ったのだった。
丁度出来たばかりのときだった。

握手が終わった途端彼はニコニコしながら言った。
「あの時オヤジさんは俺に言ったんだよね。
頑張らないと潰れちゃうよとね。だから頑張ってきたんだ。」
それを聞いて私も思い出し「あ~申し訳ないことを
言ってしまった。でも続いていて良かった」と心から思った。

彼が言うには「やってきて駐車場からこれを見て
帰ってしまう人もいるし、一方、常連さんで遠くから
来る人もいるんですよ」

興味のある方はお立ち寄りください。
R135号を南下し、熱川温泉に来ると左側に熱川
プリンスホテル、右側にファミリーマートがあり、
そのコンビ二に沿って右折しあとは電柱看板を頼りに
山の中へ入っていって下さい。
料金等は「伊豆マウンテンドッグラン」のホームページを
ご覧下さい。
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~inutori/
[PR]

# by sunnystep | 2012-09-01 09:42 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.08.15

今、家内と競争を始めていて今日で順調1週間。
始めたのは末広がりを思い8月8日。
何かというと禁煙競争。

それまで家内は一日5~6本、私は7~8本。
八月に入った或る朝、起きてくるなり家内が話し始め、
「昨夜曽野綾子さんが云うにはタバコは税金を払う
ようなものだから止めたと云ってらしたので、私たちも
止めようよ」と言い出した。

私も止めることに賛成なので家内はその場で通販に
電話して禁煙グッズを発注した。

恥ずかしい話だけれど私は2回禁煙に失敗した。
1回目は身体にパッチを貼るタイプ。2回目は医薬品を
服用した。2回とも2~3週間後にまたタバコを吸いだした。

この2回とも家内は知っていて「意志が弱い男」と
思っているに違いない。

3度目がどうなるか自分自身のことながら興味を
持っているのだが、家内から嘲り笑われたくはないし
なんとかしなければ・・・。
[PR]

# by sunnystep | 2012-08-15 15:53 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.08.12

息子は良い先生方に囲まれ本当に
良い小学校生活を送ったと思う。
校長先生は子供たちを育てる気持ちが
強いのか、素晴らしい教育者でした。

特に私の印象に残っていることとして
イ.魚介類を採っても良い
ロ.9月初旬遠泳大会を行っていたことである。

イ.については本来漁業権を持っている家族しか
認められていないことなのだが、白浜小学生に
限っては誰でも構わなかった。

勿論、伊勢海老、アワビ等は子供の潜れる深さに
いるわけがないので採れないが、シッタカ(尻高)、
地元でいう磯モノは自由であった。
磯モノは味噌汁のダシとして最高である。

ロ.については小学4年以上の参加で、4年生は
任意、5,6年生は辞退自由。距離は130~140メートル。
スタートは外洋に面した岩場からで、ゴールは板戸漁港内。
順位は関係なし。

小4のときはすでに余裕を持って泳いでいたが、
小5,6年になったら海底2~3メートルを潜ったりして
楽しみながら泳いでいた。仲間たちも同じ。

残念ながら現在はイもロも行われていないらしい。
イについては校長先生自ら漁協店長と充分話し
合われただろうし、ロについても先生方が漁師さん
たちと連絡を取り、乗船していた。

5~6隻居て子供たちに声をかける。
私たち一般父兄は共に泳ぎ子供たちを見守る。
2,3回船を呼び寄せた。

イ、ロ共に彼らにとって素晴らしい体験で、
帰郷して海岸を見るたび思い出すだろうし、
歳を重ねれば重ねるほどその思いは強くなるだろう。
[PR]

# by sunnystep | 2012-08-12 09:13 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.08.11

息子は小学2,3年以上になると飛び遊んでいた。
海に行けば仲間の誰かが居る。

或る時、仲間の後ろへ私も一緒に泳いでいたら、
突然息子が潜った。岩の隙間だったろうから
3メートルくらいか。上がってきたら蛸の首の
ところをしっかり掴んでいる。

私がすぐに泳ぎ寄ると息子が「痛いよ~」と
呼び出した。私は「頑張れ~」と励ます。
沖合30メートルの所。息子は「痛い」を繰り返し
片手両足で必死。蛸は小さいが子供の腕の肘
近くまで這い、吸盤でしがみついている。

何とか砂浜まで泳ぎ着いたら仲間が寄ってきて
「おじさん、蛸の殺し方知ってる」と聞く。
首を横に振ったら、蛸の頭をぐるりとひっくり返した。
とたんにコロリと死んで吸盤が簡単に取れた。
腕に付いた赤くなった吸盤痕は3~4日消えなかった。

地元の子の知恵、知識は凄いものだと思ったのが
もう一人いる。伊勢海老を獲った子がいた。

伊勢海老はどこにでもいるというものではなく、
彼らにとって住み易い場所というものがあるらしい。
だから住み場所を知っていなければ獲れない。

遊泳し終わったときだったので「どこで獲ったの」と
聞いたら「あそこ」と指差した。
そこの場所は私も聞いたことはあったが潜ったことは
ない。さすが漁師さんの息子だとつくづく思った。
そして「おじさんあげるよ」だと。

少し小さかった(20~25センチ)がその頃白浜小の
子供たちは磯モノ獲りを大目に見られていたので
「ありがとう」。
しかし観光客の手前、トラブルといけないので
タオルにくるんで持ち帰った。
[PR]

# by sunnystep | 2012-08-11 15:21 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.08.10

息子は私より早く泳ぎを憶えた。
息子は東京青梅市の生まれであるが、
4歳の時には下田に来ていた。
余所者の息子が小学校からでは
なかなか溶け込むことは無理だろうから、
幼稚園から是非にと考えていた。

2~3歳のころから土地探しには
連れて来ていたが、4歳になったとき
本格的となった。
昭和58年12月にここの土地が売りに出され、
運良く白浜に住むことになり、5歳から白浜
幼稚園、白浜小へと通うこととなった。

幼稚園児のときは開業したばかりで
海へ一緒に行くどこではなかったが、
小学1,2年の時には仕事の合間を見て
たまに海に行った。

家内によると園児のころは1歳下の妹と2人、
人の良さそうなお客様にくっついて海へ行った
そうである。
子供の勘は大人より鋭いのかもしれない。
面倒も見て下さったのだろう。お世話になりました。

妹を浮き輪に入れて波が来るたびに飛び上がり、
腰から胸へと段々深くなり、最後は背の立たない
ところへ。その深さになると自然に泳ぎを憶える。

小学1年のときは仲間ともう泳いでいた。
しかも湾外の岩場のところである。
呼吸のため少し立ち止まり、また泳ぐ。
私が一緒のときは泳ぎだすときに少し尻を押してやった。
[PR]

# by sunnystep | 2012-08-10 16:15 | サニーステップBlog

老人の戯言 2012.08.04

私が泳ぎを覚えたのは小学3年の頃だろう。
私たち一家は中国上海からの引揚者で
父の故郷長野市に帰ってきたが、市内でも
2~3ヶ所転々とし、市営プールから3~40分
のところに落ち着いた。

プールは大人、少年、幼児用の3つがあり、
大人用はもちろん子供の背丈よりも深い。

或る時、そのプールの脇に立っていたら
仲間から笑いながら落とされた。
いじめではなく遊びである。
その時の事は今でも鮮明に憶えているが、
なんとなく足を動かし手はもがいていたら
息が出来た。立ち泳ぎである。

それからは少年用のプールで泳ぎだした。
最初のうちは犬かきだったが、見よう見まねで
平泳ぎ、そしてクロールとなった。
クロールとなってからは大人用プールで
泳ぐようになった。

その当時はふんどしである。6尺ふんどしではなく、
子供だったから4尺くらいであろう。
ふんどしの締め方は今でも憶えているが、
子供のことだから固くは結べない。

友達と遊んでいて時にははずれてしまう。
するとそれを持ってプールから上がり、
辺り構わずまた締め直す。

同級生程度の女の子はいただろうし、
大人の女性もいたのだろうが、どんな水着を
着ていたのかまったく思い出せない。
思い出せないどころかいたのかどうかさえ知らない。

帰り道、小学校の校庭を横切るがその時
鉄棒にふんどしを巻きつけて両手で廻して絞り、
それを肩に担いで帰ったものだ。

入場料が3円かで5円のアイスキャンディーを
しゃぶりながら帰ったものだった。
[PR]

# by sunnystep | 2012-08-04 15:55 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.08.03

これからいらっしゃるサニーステップのお客様へ

暑い日が続いています。
途中混み合うところもありますが、
気を付けていらしてください。

全国で水難事故が相次いでいます。
浮き輪があれば大助かりです。お持ちください。
空気入れには当館にあります。
貸し出しますのでお申し出ください。

ペット連れの方へ。
当海岸には屋根つきのウッドデッキがあり、
地熱を防ぎます。ご利用ください。
(トイレの処理袋は忘れずにお願いします。)

白浜中央海岸は三方を岩が囲んでいます。
さらに監視員が3メートルの高さから見守っています。

すばらしい景色を持つ海岸なので、
充分堪能してお楽しみください。
[PR]

# by sunnystep | 2012-08-03 09:10 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.08.02

私の伯父が勲四等旭日小綬章を貰っている。
もうかれこれ40年も前近くのことだから
プライバシーもないので書いてしまう。

父は63歳、私の33のときに亡くなり、
翌年1周忌を行うため伯父を招いた。
儀式の終わった直後、伯父は勲章を見せびら
かし「うまくすれば勲三等だったんだよ」と言った。
弔いとか労いの言葉ひとつもなくである。

私は唯頷くだけで言葉ひとつかけなかった。
「こんな日に」という思いで一杯だった。

伯父は海上保安庁に居た。商船大学を出て、
戦後保安庁に入りあちこちで本部長をやっていた。
「庁の中でも20本指の中には入るな」とも言った。
「ああこの人物は名誉とか位にしがみついているな」
とそのとき思った。

従兄弟が2人居て「免許取った」と聞いたら「親父が
取らしてくれないんだよ」だった。
子供が事故でも起こしたら父親は自分の名誉に
傷がつくとでも思っていたのだろう。
退職後は系列先を転々としていた。所謂公務員の
天下りである。

伯父の葬儀に出席したら勲章をぶら下げた写真であった。

私は勲一等だのなんだのの国家勲章には全く興味がない。
あれは国家公務員だのそれに類する働きをした人が貰う
ものだからと思っているからである。

しかし、文化勲章だけは違う。なぜなら私の好きな作家
田辺聖子氏がいただいているからです。
[PR]

# by sunnystep | 2012-08-02 10:19 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.08.01

ロンドンオリンピックが始まっている。
NHKニュースではトップクラスで流されているが、
そのときはそっと画面を消すし、特集は見ないことにしている。
新聞もざっと目を通すだけ。

大いに活躍はして欲しいがメダルがどうの
ということになると、見たくも聞きたくもない。
4年に一度の大会のため。その4年間を日々精進し、
努力しているのだろうけれど、ほんのチョットしたミスで
予選落ちだの4,5位だのだったりするのは大いに
ありえることであって、昔云われた
「五輪は参加することに意義あり」
に戻って貰いたいとつくづく思う。

人生はさまざまなことによって成り立つと
この歳になって深く思っている。
特に1年半前に起こった東日本大震災、
つい最近の九州北部豪雨等を見ていると特にそう思う。
あれ程巨大な相手(津波)とは思わなかっただろうし、
忘れ物を取りに帰って亡くなった方、田畑を失った方、
放射能汚染で仮設住宅住まいをしている何万もの方々。

日本人は本来優しい民族であると思っている。
予選で落ちた人、メダルを取り損ねた人、そして希望して
いた色と違ったメダルを取得した人、皆様がにこやかに
手を振って帰ってらっしゃることを期待している。
そして私は心の中で「ご苦労様」と労いたい。
[PR]

# by sunnystep | 2012-08-01 10:11 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.07.29

34,5歳頃、鼻の下にヒゲを生やしたことがあった。

ちょうどその頃、石鯛釣りを始めていたのだが、
何の当たりもなくたまに釣れるのはウツボのみ。
穂先をじっと見ているのだが、石鯛とウツボとでは
穂先の動きが全く違う。

石鯛は三段引きといって、一回目はチョンチョンと動き、
次に20センチぐらいグーッ、グーッと引き、最後に
ドーンと竿全体を曲げる。
ウツボはこの動きがなく、いきなりである。

家に帰ってきてどうして釣れないのか反省するのだが、
ある時フッと思った。
「猫は魚が好物だ。それなら猫の真似をしよう」と。
そして鼻の下にヒゲを生やし出したのだが、6~7ミリまで。

お茶、コーヒーでもヒゲを拭くし、ビールなどはしょっちゅう拭く。
面倒だからその内5ミリ以下にし、唇のすぐ上はカミソリを使い、
出来るだけ細くした。それでもビールがくっつくし、おまけに魚は
釣れない。半年位でヒゲは止めてしまった。

昔の軍人大将などは太いヒゲを生やし、おまけにポマードか
何かでひねり上げた写真を見る。私にはとても理解できないが、
現在でも歳をとると鼻の下は勿論、あご、もみあげまでのばして
いる人を見かけるが、目をそらしてしまう。
無精ヒゲは仕方ないがそれでも1ミリ(3日分)。
[PR]

# by sunnystep | 2012-07-29 11:07 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.07.20

前便で書いた私の結論「西風が減ったとは
考えたくない」は私の単なる希望であって
事実は沖合いの停泊船が減り、東風によって
巻き上げられた砂が西風によって戻されていない。

古来の東西風が最近になって変わってきているのだが
さらに付け加えると浜辺の変化は人間によっても引き
起こされている。中央海岸の南隣白浜大浜海岸のことだが
平らな砂地が減ってきている。国道の高さから海辺に向かって
滑り降りるようにしなければ海に辿り着けない。

サーフィン大会、レスキュー大会、ビーチバレー大会等が
行われ、本部を始め様々なテントが張られたが、水平に
するために海岸側からユンボで砂を集め国道の高さにまで
積み上げる。しかし大会が終わったあと、砂を海側に戻す
作業は今まで見たことがない。こうして砂浜は変形していく。
[PR]

# by sunnystep | 2012-07-20 09:17 | サニーステップBlog

老人の戯言 2012.07.13

海岸には「離岸流」というものがある。

潮の流れが直接浜に流れ込み、それが渦を
巻いて今度は海に向かって流れ出すそうだ。
この流れに巻き込まれると、100メートル以上
沖に流され、その中から抜け出すのは容易では
ない。流れに任せて沖から買ってくるしかない。
白浜大浜では時たまそれが起こるので、
救助隊が注意深く見張っている。

白浜小学校では原則として大浜での遊泳禁止。
中央海岸を使うよう指導していたと思う。

白浜から沖合い40キロメートルにある伊豆大島を
始め伊豆6島が見える(八丈島のみ遠すぎて無理)。
ただし空気の澄んでいるときであるが、冬の乾燥期は
伊豆大島の民家のライトまでが横並びに見える。

伊豆半島は夏は東風、冬は西風が強い。
東京湾から出てきた国内運搬船は伊豆半島を
廻って大阪方面に向かうのだが、西風の時は
向かい風となるため、白浜沖に錨を下ろす。
あまりの数の多さに数えたことがあり70隻あった。
それを地元民に話したら、
「俺のときは100あったよ」

それが今では15~20である。
渡航する舟の総数が減ったのか、舟が大型化して
エンジン力が増したのか、それとも西風の強い日が
減ったのか。

東風によって砂が吹き上げられ、西風によってまた
砂が元に戻される自然の力。
このバランスが海岸には大切なこと。
西風が減ったとは考えたくない。
[PR]

# by sunnystep | 2012-07-13 17:25 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.07.12

白浜中央海岸は砂浜の奥行きはそれほどないが、
長さは約1キロあり、そこに2ヶ所の海難救助隊が
3メートルの高さから見守っている。
海に向かって右側の一つは下田プリンスホテルの前、
左側が私どものところで、そこまで歩いて3~4分。

中央海岸ではここが主たる海水浴場であるが、
三方が石、岩に囲まれていて泳ぐのに安全。
海に向かって右側にカブ根(別称神舟、白浜神社の
神が舟に乗ってこの岩に辿り着いたと伝説のある
自然岩)が100メートルほど突き出し、左側は石を
積んで造った堤防。海面から高さ2~3メートルあり、
沖合いにも防波の役を課す岩を積んで造った防波堤
があり、海岸から120~130メートルの沖合いに位置
している。
要するに間口約150メートル、沖に120~130メートル、
沖の石積みは短くなっていてそこから潮が流れ込んでくる。

80過ぎの老人から聞いたのだが、これはこの地区の
漁港だったそうだ。海が荒れてくると沖合いの堤のわき、
潮の流れ込んでくるところを通って帰ってきていたそうだ。
しかし、潮の勢いが強くなっているので時々舟が転覆した
そうだ。
心配して見ていて、漁師が無事なのがわかると心の中で
アハハと笑ったそうだ。子供のころの思い出として話してくれた。

この堤はたぶん昭和10年代に造られたものと思うが、
昭和32年に富士、箱根国立公園に伊豆半島が加わり、
「富士、箱根、伊豆」となり、同時に国道建設が活発となって
中央海岸の港が撤去され海水浴場となったのだろう。(続く)
[PR]

# by sunnystep | 2012-07-12 11:03 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.07.10

日経新聞の土曜版にプラス1という特集記事がある。
何でもランキングである。
2004年8月7日(土)のプラス1は
【砂浜のきれいな海水浴場】と題して
海洋学者、写真家、旅行業者等8人の人たちに
持点を与え、「日本の水浴場88選」から選んで
もらった記事である。
「日本の水浴場88選」とは環境省が2001年に
選定したもので、いわば国のお墨付きみたいなもの。

1位は320点で高浜、2位が僅差の310点で白浜中央、
3位が270点で沖縄、以下鹿児島の西之表と続くが、
1位と2位が3位以下を大きく引き離している。

高浜とは長崎五島列島の福江島にあり、
そうなると白浜中央は本土では断トツの1位である。

記事は「関東周縁で屈指の美しさを誇る」「伊豆半島の
南端にある白浜海岸の最も北側に位置するビーチで、
南側に位置する白浜大浜海水浴場と比べると、波の
穏やかなのが特徴。磯遊びも楽しめるため家族連れに
人気が高い」とある。

記事にはないが、ところどころ岩場が点在して頭を出し、
岩場の根には改装が密生して海の色が異なる。
改装はさらには水を浄化させ、そこに魚、貝類が住み着き、
海の青さの濃淡が実に素晴らしい。 (続く)
[PR]

# by sunnystep | 2012-07-11 17:53 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.07.09

おばあちゃん2,3人グループが
我が家の横を散歩で通りかかる。

時々私は声をかける。
「海を見ながら散歩できるなんて
ここはよいとこだね。」
すると殆どの人が
「そうかね」
と云ってきょとんとする。
昔から見慣れている風景なので
そのよさに気が付いていない。
まして都会に住んだこともないだろう
からでもある。

余り近所の付き合いはないから
よくは分からないけど、老人の交通事故が
多いように思う。
知り合いの青年にそれを云うと
「そうなんですよ。みんな自分の庭みたいに
思っているから。」
歩行者も車もである。

昔からある家々を巡って細い道が
入り組んでおり、見通しも悪い。
そんな道をキープレフトどころか
ど真ん中を走っている。
幸いスピードは出ていないので
大きな事故にはなっていないが、
歩行者が国道を渡るときでさえ
左右の確認を良くしないらしい。

75歳を過ぎた老人が
「矢張り俺も高齢者マークをつける
ことにしたよ」
詳しく歳を聞くと77~8歳だったりする。
マークをつけた車が実に多い。

私もそのころ一体どうするだろうか。
[PR]

# by sunnystep | 2012-07-09 08:50 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.07.07

今日は七夕。
七夕で晴れた日というのはなかなかない
ように感じる。今日も曇りときどき雨である。

さて、ガソリン代金について前回のブログで
「観光客単価」という言葉を使ったが、観光に
ついても色々と考えを廻らせているので、
取り敢えず閑話休題。

昨日水を買ってきた。お茶立て用、或いは
飲み水(もしかしたらお客様用のコーヒー
にも。従業員任せなのであまり詳しいことは
判らない)用として。

行き先は約1.5時間を要する大沢里
(オーソーリ)というところで堂ヶ島の南に
ある仁科川沿いの県道59号線を約30分
山中に入ったところ。

名古屋やら浜松やらに本社のある中堅企業が
温泉を求めて掘ったのだけれど1000メートル
掘っても結局温泉は出ず、冷水のみ。

6~7年前までは無料でその水を提供していたが、
人気が人気を呼び、有料化することにし、県の
検査も得て低アルカリ性イオン水、つまり自然水
として売り出した。

私の老知人は無料の時代に通ったのだが、
曜日と時間帯によっては列を作っていたそうで、
夕刻を狙ったそうだ。
有料化になって一時客足は減ったが、逆に
並ばなくても済むという利点があって客が増え、
何年か前には給水口(蛇口)が増えている。

20Lのポリタンクを18個持って行く。
当初は約18Lで100円だった筈だが、
今は15L100円。約2割値上がりしているが、
それでも安い。自然水としてコンビニで1本
100円で売られているのだからはるかに安い。
[PR]

# by sunnystep | 2012-07-07 11:57 | サニーステップBlog

老人の戯言 2012.07.05

私が勝手に名づけているのが「観光客単価」。
その典型がガソリン代である。半島に入った
途端に高値である。

遠出することが時々あるが、必ず満タンに
してから行くので、有名観光地では入れない。
厚木から相模原へ抜ける国道129号線を使う
こともあるが、その安さにビックリしてしまう。

私が買うスタンドは半島内ではトップクラスの
安さである。セルフ化して10年だそうだが、
地元民を対象としたプリペイド方式で2万円
以上がガソリン単価は一番安い。

転換した当初「三島の価格と比べてネ」の
看板を掲げていた。河津町にあり、そこへ
着くまで4~5店のスタンド前を経由するの
だが、知り合ってから20年は経つだろうから
そこへ行くのは当たり前である。

観光客単価はガソリンに限らず全てに言える。
飲食は勿論のこと、日常生活に必要な諸々の
料金も高いと言えるのではないだろうか。
昔の栄えていた下田のありようを今も引きずって
いるように私には思える。
[PR]

# by sunnystep | 2012-07-06 12:05 | 親父のBlog

老人の戯言 2012.07.04

自然水の続き。
なぜ往復3時間もかけて水を買いに
行くのかといえば、まあ私の趣味という
ことになってしまう。
私の舌は鈍感だから市の水道水と比べて
どうかと問われればなんとも言えない。

趣味ということだけにしておけば
格好良いのだが、本音は市の浄水数値は
ともかくとして、市当局を信用しておらず、
水道料金のほんの一分だけど飲料水代金
だけは払いたくないということに行き着く。

市民の水は中心部を流れる稲生沢(いのうざわ)
川とその支流の梓川を合わせ、合流地点より
少し下ったところに浄水場がある。
しかしその上(かみ)には市に対して発言力の
ある大きなホテルと、更に上流域にも発展し
続けている大きな温泉旅館域がある。
両方共に市、県の行政指導通りの浄化水槽を
持っているだろうが、絶対に信じられぬことを
市当局がやってしまったことを私は実見したと
思っている。

もう20年前になるが、稲生沢側の一番上流の
源水域に砂防ダムをつくり、その周りの原木を
すべて切り払い、そこへ土を捨てたのだった。
立入禁止だったが興味のあった私はちょこっと
立ち入った。そのとき言った作業員の言葉は
「この土は海底のものだが、真水で洗って一年間
干したものだってさ」だった。
どこで干したのかは言わなかったが、そんな土の
山々など私はどこにも見なかった。
たぶん外防破堤を作る際に掘った海底の土を
水源域に捨てたと私は思っている。
[PR]

# by sunnystep | 2012-07-04 18:55 | 親父のBlog