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第72号
塾長理念:善に見る習慣をつける 塾長講話:天を相手にせよ~自分の心のなかの誠、真心を尽くす~ 塾長講話:自然界に存在する普遍の法則と人生 西郷南洲遺訓には「人を相手にせず、天を相手にせよ」とあり、塾長講話ではバブルの大狂騒を例に説明されていますが、私には、天を相手にせよとの言葉自体の響きがとても胸に残りました。明治維新の志士の中岡慎太郎には「志とは、目先の貴賤で動かされるようなものではない。今、賤しいと思えるものが明日は貴いかもしれない。君子となるか小人となるかは家柄の中にはない。君、自らの中にあるのだ」との名言がありますが、講話の題名を読んだときに思い出しました。どちらの言葉も清々しい生き様を表しているように思います。周りの価値観に左右されず、しかも我執といった小さな拘りを持つこともない生き方をしなさいと教えられていると感じました。私の場合は、あまり周りの考えに左右されないというよりは、ぼんやりとしていて助言であっても気に留めないことがあると感じています。やはり無意識のうちに傲慢になっているのだと思います。天や志というものに自分の考え方の軸足を置いてこそ、南洲や中岡慎太郎の言わんとするところを理解し実践できるのだと思います。 塾長は天とは、誠、真心であると説明され、自分の心のなかにあるものだと言われています。商談などで人と接するときでも、誠、真心を尽くして相手に対しなければなりませんが、その誠、真心とは、自分の心のなかにあるものと説明されています。人を相手にするのではなく、自分の心のなかにある、誠実や誠を相手にすべきであると教えられています。バブルの頃を評して、土地を買っても株を買っても値上がりし、額に汗をせずとも右から左へお金をまわしていくだけでボロ儲けができた当時は、道理、原理原則、人間として正しいことに基づいて判断することを忘れ、多くの人が人を相手にして儲け話に乗ってしまったとされています。そしてバブル崩壊後は、儲け話に乗って多額の損失を出した人たちが、暴落した不動産や株式を勧めた人が悪いと、他人を咎め人のせいにしてしまったと指摘されています。天を相手にするとは、自分の誠に照らして判断し、失敗も自分の誠が足らなかったからと考えることであると諭されています。さらに、誠をもって物事を判断していくことで必ず角が立ち、過ちを犯して招いた困難ではなく、筋を通したため人から疎んじられ、困難を招くと言われています。まだまだ私は誠をもって行動していけるよう自分との闘っている最中で、どこか落としどころを見つけて妥協してしまう自分という「人」を相手にしないよう、盛和塾で学ばさせていただいていると思います。そして西郷や塾長の言われる困難に遭遇したときにも、動揺することのない人間性を備えていきたいと思います。
by sunnystep
| 2010-04-12 21:57
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